今日の八戸   (平成17年8月1日撮影)

今日は八戸祭りの「お通り」の日。私たちの年代では「三社大祭」といったほうが馴染み深いものですが、県南最大のイベントであることは間違いないものです。青森県といったら、青森市の「ねぶた」、弘前市の「ねぷた」といったものが有名ですが、わが県南(南部地方)にもそれらに勝るとも劣らないお祭りがあるのです。本来は9月に豊年を感謝するお祭でしたが、私が小学生の時(40年前)には8月の後半(学校の夏休み後半)に行われておりました。8月1日になったのは、「ねぶた」や「ねぷた」に時期を合わせてたほうが観光客を呼べる・・・という判断があるようです。その是非はともかく、われわれ八戸の住人には待ちに待ったお祭です。
八戸の城下には、神明宮(シンメイさん)、法霊神社(ホウリョウサン 別名オガミさん)、新羅神社(チョウジャさん)3つのお社があります。この3社のお神輿行列やオチゴさん行列に華を添えるのが、お社の氏子町内会の人たちが作製する山車の運行です。題材は歌舞伎の出し物とか、義経に関係したもの(八戸には義経主従が平泉をまぬがれこの地に立ち寄ったという義経伝説があるからでしょう。)、また最近では、南部氏にまつわるものが多く出されるようになりました。いずれにしても、豪華絢爛な山車絵巻は、見物客を魅了すること間違いないものです。平成16年には国の重要無形民族文化財に指定されました。また今年は、NHKの大河ドラマ 「源 義経」 に出演中の市川左団次(高島屋 金売り吉次役)さんや石原さとみ(静 御前役)さんが8月2日の夜間運行に出演することになっております。沢山の写真をアップしますので、どうぞ八戸にいらしてください。お待ちしております。「まってるスケ なさぁ。」(おまちしておりますからネ。)

(下の写真は参加山車のすべてを載せてあります。いずれもクリックすれば拡大写真が出るようになっております。)


 八戸弁の紹介


青森の方言というと皆さんにとっては「津軽弁」が有名でしょうが、八戸にも南部弁というオモムキのある方言があります。八戸藩は、その昔、二万石の城下町でもありました。また、湊町としても栄え、その地域ごとに使われる言葉も違っていました。やはり湊方面では仕事がら、荒々しい言葉になります。逆に城下で使われる言葉はご家中言葉(士族さま言葉)といわれ、非常におっとりとした口調で、京都の言葉を思わせるものです。
昭和30年のはじめ頃までは、士族さまのご夫人たちや市内の中心街の大店(オオダナ)でも、家族・使用人ともどもご家中言葉に匹敵する丁寧語を使っていたということです。今から約20年前に南部弁の解説書「ことばのごもず」という本が出版されました。ここでは、その本と、八戸博物館発行のパンフレット、及び 先輩たちから教えてもらった言葉の中から少しばかりご紹介いたします。

今回はお祭りやその製作にまつわる言葉を捜してみました。皆さんもぜひこの南部弁をつかってみてください。きっと八戸が身近なものに思えるようになるでしょう。



  


1)はがいがねェ順調ではない。難儀するこの山車は、めんどくせェつぐりになってるすけ、はがぁいがながったべなさァ(大変だったでしょうネ。)

2)てぇんど

手先のこと 「うがぁ(あなた)、こったらにてぇんどがいいとはおもわながったぢゃぁ」 (器用だとはおもいもつかなかったわ。
3)てぼっけ不器用なことおめぇ てぼっけだなァ。そったらごんどもでぎねえのがい。(アナタ、不器用ネ。そんな事もできないの?)
4)かだる 「ではる」も同意語参加するコドシ(今年の)のお祭には、おらほの子供だぢがかだるすけ(ではるすけ)、メンドウみでけんだぁ。なさァ(面倒をみてちょうだいネ)
5)たなぐ持つこと昨日久ぶりにおみこしをたないだら、肩がいだぐなったぢゃ。
 それでは今回の講座も「どっとはれぇ」。

追記
大橋さんのHPに書かれてあった「ごもず」って何のことですか?と聞かれ  「あぁ、最初にこのことを書かなければダメだったなと反省しました。」
「ごもず」とは、ゴミの事を言います。また転じて役に立たないものもそのようにいうこともあります。舘 光子さんの言葉から、「ごもずとは、ごみ屑とかゴチャゴチャして役に立たない品---色彩も布地も異なる「ごもず」を集めてつぎはぎだらけの袖なし(ベスト)を一枚縫ったような本です。」と書かれておりました。そのままとれば、八戸にまつわる方言を集めて一冊の本にしました。・・・ともとれるし、また、今や方言は見捨てられたような存在だけど、そんな「ゴモズ」でも日本の文化を形成するものだから大切にしなくちゃネと言いかけられているような気がしました。




2004年6月に行われたテントシート・東北ブロックの懇親会の席上、方言の話になり「おしずかに」という言葉を紹介したところ、日テン工連理事長の奥さまより「すごい上品な言葉ね!」とお褒めの言葉をいただいてルンルン気分。必ずこの言葉を全国の方に広めたいと思い、以前紹介したコーナーを残しておくことにしました。

八戸の花八戸の方言
「おしずかに」私の一番好きな言葉です。お客様を送る時の言葉として使われる言葉で、お気をつけてお帰りくださいという意味です。つかいかたとしては、「それでは、ドウゾおしずかにおんでやんせ」 
(どうぞ、お気をつけてお帰りくださいませ。)
「おひなる」お目覚めになるという意味です。
「おひいさんはおひなりなしゃんしたべが?」(おばあさまはお目覚めになられましたでしょうか?)というように使われます。
久しぶりにウルシの木を見にきたら、八戸教育委員会の方が3名ほど車を止めて私のほうに歩み寄ってきました。カモシカの死骸が道端に捨てられているという電話があり、確認のため来ましたというのです。このようなところにも、天然記念物の日本カモシカがいるなんてと感動しました。逆に教育委員会の方から、こんなとこにウルシの木があるなんて・・・と驚かれていました。ウルシといえば、最近では浄法寺町が有名ですが、我が八戸にもまだみかけるんです。(最近は森林開発とか、道路拡張の名目で伐採されておりますけど・・・) しかも、この近くには青森の三内丸山にも勝るとも劣らない是川遺跡があります。しかもその遺跡の中には漆をつかった道具がたくさんあります。もしかして、縄文の方たちもこの辺のウルシを掻きにきてたりして・・・と思うと、なんとなく5000年前にTime Tripしたくなりますね。いくらかでも八戸をPRしたくて、その方からいただいた遺跡のパンプレットをご紹介します。「およって」お休みになるの意味です。「おずうさまは、およっていなさります。なにしろ、早寝早起ぎでござりやんすからなし」(おじい様はお休みになっていらっしゃいます。なにしろ早寝早起きでございますからネ。)
「おあがりゃんせ」”が”は鼻母音で。「めしあがりなさいませ」から転化したものと思われます。すなわち「召し上がれ」、とか、「お食べください」の意味。「珍しぐもありやんせんども、おひとつどんぞ、おあぎゃんせ」 (珍しいものではありませんが、どうぞ召し上がってください)
八戸では「紫桜」と言いますが正式名称はわかりません。なにしろ広辞苑にもついていないので調べようが無いのです。少し高い木にさりげなく小粒の花を咲かせているため、今までは見逃すことが多かったのですが、青い空に紫の花がはえて印象深いものです。「おがごいなしゃんせ」”が”は鼻母音ではありません。お囲いというからにはシマウとか大事にするという意味があると思います。この場合は、病気の時のお見舞いに使われる言葉で、「お大事に」とか「大切になさいませ」という意味です。使い方としては、「お元気そうでようござんしたごど。おらこれで失礼しやんすども、どうぞ、おがごいなしゃんせ。」 (お元気そうで何よりです。これで失礼しますが、お大事にしてください。)
「ござっぱたぎ」 座っているゴザをはらう・・・現代風に言えば、座布団を取られてしまうことから、最後までしつこく残って飲んでいる人のことをいいます。私なんかよく母からこの年になっても「ござっぱたきにならねェんだァ。かっこわるいんだスケなサァ」(最後まで飲まないでね。格好悪いんだからネ) といわれ続けております。そのように母から言われるほうが余計かっこわりぃ!。
一見サクラのように見えますが、「カイドウ」という桜と同じバラ科の植物です。唐の玄宗皇帝が、最愛の美女−楊貴妃の酔った姿のなまめかしさにたとえたという花です「ほづなぐす」 自分をみうしなうことをいいます。「なぁに そったらに ほづなぐすくらい飲んできたのエェ」 うちの女房殿から言われる言葉です・・・ハイ。
「せっちょはぐ」苦労する。一生懸命にうごくこと。「あんだみてぇな重い人を布団まで運ぶなんてせっちょはぐすけ、あんまり飲まねぇんでかえってなサァ」 (あんまり飲まないで帰ってきてネ)
「ボケ」の花です。赤い色がとてもまぶしく感じられます。我が家でこんなに沢山の花をつけたのは久しぶりのことです。しかも長い期間咲いてくれるので、ありがたい存在です。秋にはリンゴのような実をつけ、それを焼酎につけて飲めば咳の薬にもなります。(のみすけでゴメンナサイ)「どっとはらい」「”どっと”払ってしまいこむ」ことからでしょうか、終わりにすることをこのように言います。 「さあ、今日の飲み会はどっはらいにするびゃ。」 (これでおわりにしましょう) とか、おばあちゃんが孫にお話をきかせて終わるときは必ず 「今日の桃太郎の話は これで どっとはれぇ」 と言っていたことを思い出しました。

いかがでしたでしょうか。なんと趣のある上品な言葉(手前味噌かな?)だと感じるのは私だけでしょうか。鼻母音とそうでないものとの区別が大変でしょうが、これは、しゃべって覚えるもの。私は、先人たちが使っていたこのような言葉を自分の子供たちに残すことが使命だと感じております。でも、最近の子供たちは、テレビや学校教育の影響もあり標準語しか話したがりません。困ったことだと思います。でも、このホームページを見た方が、方言のもつやさしさやそれが生まれた八戸の風土の情況を思い浮かべていただければそれに勝るものはありません。次回をご期待ください。